Gary Walker

GaryWalker
■PROFILE
父ジョン、母キャサリンの次男として人口わずか300人からなる炭鉱の町で生を受ける。幼少時代に早くも兄の結成した5ピース・ソウルバンドから流れる音に憧れ、音楽家を志す決心を固める。
小学生ながら兄(ダン・ウォーカー)のソウルバンド「リフレクションズ」に参加。バンドは地元コンテスト「Battle of the Bands」に優勝、ゲイリーは初めてのテレビ出演を果たす。(ピッツバーグWIIC TV 11チャンネル)
11歳でバンド「Gary Walker and the All Stars」を結成。中学校入学と同時にゴスペル、クラシック、ブロードウェイ等、彼にとっては未知のジャンルへの挑戦を始める。この頃に黒人男声合唱団に所属教会(Pane A.M.E. Church)のメンバーとともに最年少で参加。
高校へ進学。クラシック音楽の勉強と本格的なボイストレーニングを開始。ボイストレーナー(講師)は「メトロポリタン・オペラハウス」所属オペラ歌手Murrel Stuzmen氏。高等学校最終学年にてペンシルバニア州立大学に音楽奨学生として迎え入れられる。
大学卒業後、再び兄ダンと共にダンスバンド「Son Light Band」を結成。ボストンからフロリダまでの西海岸地域をツアーし、各地で動員記録を更新するという偉業を成し遂げる。
ジャズバンド「Jazzmen」にボーカル担当として参加。後にバンドは「Oasis」と改名しジャズからR&Bへと路線変更。Oasisは西海岸のナイトクラブを中心に活動。
ジャズ系ソロ歌手としての活躍が中心となる。また、楽曲提供やプロデュース活動を開始する。自身もソロ歌手としてピッツバーグを中心に活動。ラジオ局WWVAの番組へのレギュラー出演を果たす。番組はウェスト・バージニア州のキャピタル・ミュージックホールから毎週生中継され米国、カナダまで放送された。この番組で著名なレイ・チャールズ、チャーリー・プライド、オークリッジ・ボーイズ、Jannie Fricki, Mandrel Sisters, Gary Morris, Lee Greenwood、ジェリー・リー・ルイス等との共演を実現。そして、この頃レイ・チャールズ氏に認められ、後に氏のオープニング・アクトに採用される。

1992年、LL COOL J BAND公演メンバーとして初来日。以来、日本に魅了され、頻繁に横浜、名古屋、大阪、福岡でのライブ活動を行うようになる。
1998年、自主レーベル(CMG)において、あこがれの「美空ひばり」への思いを込めたミニアルバムHeaven Sentを制作。米ABCテレビの長寿番組「General Hospital」挿入歌としても採用される。
1999年、アメリカで初のフルアルバム「STORYBOOK」を制作。美空ひばりのカバー曲「愛燦燦」、日本の童謡曲2曲を日本語で歌唱。スティーブ・ルカサー(TOTO)、スティーブ・ポーカロ(元TOTO)、ポール・ジャクソンJR、アルビン・チーア(TAKE6)らが参加。エンジニアはマイケル・ジャクソン「HISTORIES」及び安室奈美恵、GLOBE等を担当し、クリスティーナ・アギレラへの楽曲提供でも知られるロブ・ホフマン。

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